私のアメリカ寮生活時代のお話し。
今から20年以上も前のお話しです。
高校卒業後、私はテネシー州の大学付属の英語学校に入学しました。
当時、学校の寮に入っていたのですが、寮ごとに寮長がいて、
フロント業務を3年か4年の学生が対応していました。
私の寮長は黒人の女の子。
寮のオリエンテーションでは、クーラーのガンガンに効いた彼女の部屋に案内してくれ、壁一面にめちゃめちゃオシャレな海とイルカのスプレーアートが描いてあり、圧倒されたのを覚えています。
とても気さくで、色々と親切に説明してくれました。
全く知らない人の中で、姉御肌で気さくな寮長に、ちょっとホッとしたのを覚えています。
ある日学校帰り寮のエントランスで寮長がお友達と談笑していたので、
”HI!”
とあいさつすると。。。。
”。。。。。。”
完全無視。。。。。
ン?! 目合ったよね?!
そんな事が何度かあり、ある日気づきました。
黒人のお友達といるとき
ーー>あいさつしない。
彼女が一人の時もしくは、寮のエントランスカウンター内にいる時
-->あいさつする。
そうなんです。
ここはディープサウス、テネシー州。
人種は共存しているが、まじ合わらない場所!
キャンパス内でも人種ごとにはっきりくっきり分かれて歩いています。
黒人系、白人系、アジア人系、ヒスパニック系。
それぞれが、それぞれのコミュニティーを築いているんです。
教会も、もちろん別。それぞれの教会があり、毎週末にそれぞれの教会に集まっていました。
ソロリティー、フラタニティーという、一軒家で共同生活する寮があるのですが。
それも完全別!
(*ソロリティー、フラタニティーは、選ばれしもの達のみ入れるイケイケな寮。当時、入りたい人は、何らかの儀式?!というか課題をクリアーしないと入れないという事を聞いたことがあります。)
初めて肌で人種の違いを感じました。
私はアジア人。 韓国人、日本人、ベトナム人関係なく
アジア人の部類。
アメリカは自由の国!と思っていざ来てみると、
そこには、
すみ分けのルールを守りながらの自由が広がっていたのです。
いくらフレンドリーだからといっても、人種の間には大きな壁がありました。
ある意味その壁は、休戦状態のような、マナーのような、話はするけど助けはしないよ。と、そんな雰囲気を醸し出していたのです。
アメリカは、
”人種のるつぼ=Melting Pot” ではなく
”サラダボウル =Tossed Salad”
なのだとひしひしと毎日の生活で感じました。
おそらく私がいたテネシー州は当時、まだまだそういう人種の違いが色濃く残っている場所だったと思います。
今、アメリカでフロイドさんが暴行死した事件に関する抗議デモが激化しています。
その映像を見るたびに、アメリカ時代に感じた”人種”というもののとらえ方を思い出します。
そこには、いまだ変わらない人種差別が、大きな影を残しているのです。
悲しい現実。
人種差別の根深さ。
このもやもやと漠然としたすみ分けの暗黙の了解はおそらく今でもあるのです。
それは消えることはない気がします。
何が大事なのか。
暴動を今後起こさないためにはどうするればよいのか。
アジア人として、今一度人種という事についてよく考える時なのかもしれません。